知識のリンクと問題把握の糸口

昨日のブログに書いた2番目のアドバイスに習って、文体を変えてみる。
もうお気付きのとおり、語尾の変化だ。

最近、これまでの学びを通して培ってきた知識が自分の頭の中で次々と連鎖をおこす段階に突入し毎日が面白くて仕方がない。それに伴って感ずる“無知の知”へのもどかしさ,知識の浅い学習者の立場から浮かぶ素朴な疑問や未熟なりにも思考をフル回転させ至った意見など、いろいろと思う機会も多くなった。
就活もこれからより活発に辛抱強く取り組んでいかねばならない状況に入っていくと思う。

これからはこのブログを自分との対話の場としても活用していきたい。
そう思って、少々無愛想とも響き得る文章ではあるが、「である」調に思い切って変えてみた。

印象は変われども、これからも多くの方に読んで頂けることを望んでいるし、これまでのような語りかけを大事にしていきたいと感じている。

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金曜日に受けている『世界の食文化』は、2週ずつ講師の先生が入れ替わる珍しいスタイルであるが、“今”の世界の“現状”を掴む上で非常に貴重な情報源となっている。なぜならば、先生方は皆、過去に商社の社員として海外での駐在経験が長く、その土地の特徴を肌で感じとる経験をされてきた。その印象を日本人的感覚から抱いた感想を交えて説明して下さる。この学部で教えていらっしゃる教授の大半を占める“学者”先生の授業とは趣が異なり新鮮である。もちろん彼らの多くも“現地”での研究を経験されているが、授業に個人的な感想・意見が入ることは極めて少ない。(おそらく学生を一方の側に導いてしまわないための配慮だろうと考える。)

今までこの授業を通し、中国,アラブ,ヨーロッパを眺めてきた。食文化と題しながら学ぶ内容は食だけにとどまらず、その地域の歴史や文化,その地域に住む人間の価値観・アイデンティティの解析にまで及ぶ。

その“内面への掘り下げ”は歴史や社会学の授業で学んできた事柄(ケース・スタディー)の理由(きっかけ・原因)を探るための有力な手段となる。特にグローバル化された現代において、この日本も悩まされ続けている“他国(特に、隣国)との不和”は、この異文化理解が十分でないことが原因の一つだと私は考える。

利害や価値観が複雑に絡み合った国際問題(紛争/対立)を把握し,理解を経由して解決に辿り着くには、異なる複数の“視点”からの考察が必要不可欠である。

そういった意味で、上に挙げたこれまでのトピックのうち、中国とアラブの回は自分がこれまで知らないことが多かった分、格段に面白く、また大変に感銘を受けた。

いつか、それ関連の話題についてここで書くとき、授業で得た情報も交えたいと思う。