能楽鑑賞 in 千駄ヶ谷

今日は人生初の能鑑賞を体験しに千駄ヶ谷にある国立能楽堂まで行ってきました。

       

国立能楽堂は、先週訪れた横浜能楽堂よりかなり大きい印象を受けました。あっ、そうそう、国立能楽堂には前の席一つ一つに字幕用の飛行機の客席のように小型のモニターが付いていました。字幕は日本語か英語。2言語の特徴はまた後ほど…。

今日は“普及公演”だったので(国立能楽堂主催の公演は他に“企画公演”・“特別公演”があります)、最初に演目の内容解説とそれにちなんだお話がありました。本日の能のタイトル『錦木』とは、今からおよそ1000年前の日本にあった慣わしだそうで、男性が結婚したい女性の家の前に色付けをして装飾した木の枝を置き、女性は会いたければ(結婚したければ)その木を家の中へ、そうでなければそのまま門のところに置いていたままにしたというものらしいです。このことは台詞(歌詞?)の中でも何度か出てきますが、事前に把握しておけたので物語にすんなり入り込むことができました(^v^)

前半の演目は、狂言『鳴子遣子』。2人の男が鳥を追う道具の呼び名を“鳴子”か“遣子”か言い合いになり、大切な刀をかけて判定を茶屋に委ねる、というストーリー。負けたくない2人はそれぞれ茶屋に彼の欲しそうなものと交換に自分が勝利するよう話を持ち掛け、茶屋はそれぞれの取引に応じると約束します。ここで、結末を知らない私は茶屋がどうやって判定の場を切り抜けるか興味津々でした!オチは…知りたい方だけどうぞ⇒(茶屋は判定の時を延ばして延ばして…最後に2本の刀を手に逃走!
上演時間20分間、台詞もリズミカルだし、動きも多くてとても楽しかったです。

休憩時間は20分。念のため、係りの人にチラシに書いてある通り、15時30分に予定通り終演するか質問してみました。返ってきた答えは、「はい、時間通り進んでいますので15時50分には終了する予定です」……。えっっ、50分?ゼミに間に合わないじゃん(=v=;

あいにく私の携帯にはゼミ用のメールアドレスが入っていなかったので、授業遅刻の連絡をする術もなく、泣く泣く席に(TT)

後半の演目は、能『錦木』。里で出会った僧侶と一組の男女。男は手に錦木を、女は手に細布を持っている。二人はいつの間にか僧侶の前から消える。不思議な体験をした僧侶は里の者にその二人について尋ねる。男は、求婚する女の家の門に3年間錦木を置き続けたが、女の父親の反対+女自身細布織りのほうで忙しかった(←ちょぉぉっと記憶が曖昧です。)ためについぞその錦木は受け入れられることはなかった。男は死に、女もそれからまもなくして死ぬ。二人は成仏できずに里にいたのである。僧侶は2人に念仏を唱え、男は喜びの舞を踊り2人は成仏する――というあらすじ。(今回はプログラムを購入していないため、こんな感じ…だったよな、と記憶を辿りながら書いているため間違ってたら失敬。)

"能"はこれまで写真でみたり、ちょっと本を読んだりして'多分こんな感じ'というイメージが頭の中で勝手に出来上がっていましたが、実際観てみて驚いたのが登場人物の台詞の語り口が非常にゆっくりであるということ。今までみてきた"オペラ"も最近初めて観た"文楽"も"狂言"も、登場人物の台詞は皆喜怒哀楽の感情が口調にたっぷりと込められていたけれど、"能"の場合、初心者にとってそれを感じ取るのは非常に難しかったです。

実は上演が始まっても最初はチラチラ時計を覗き込んでいた私でしたが、諦めて(というか無意味だし、)その時間が悠々と流れる不思議な世界に身を委ねることにしました。

能のほうは発せられている台詞が全くわからなかったため、字幕モニターを使ってみることに!しかし、途中で日本語字幕がぱったり出てこなくなり、モニターをいじっていたら英語の字幕が出てきました。この“英語字幕”がと〜っても解り易かったのです!なぜなら、日本語は台詞がそのまま字幕として映されるのに対して、英語は極めて単純な文で書かれているから。これから能を観に行こうと思ってる方、英語字幕がオススメでございますよ。

能楽堂という外界とは完全に切り離された空間の中で霊として鬼の面と黒い髪の毛をつけてゆったりと、時に激しく舞う男の姿は怖ろしくも美しかったです。


結局全演目、“真”の予定時間通り15時50分に終演を迎え、私は一路国立競技場駅へ爆走。なんとか56分の地下鉄に乗ることができ、途中の乗換駅でもエスカレーターを駆け上り(普段はやりませんよ!念のため。)、ちょうど来た電車に乗ることができました。この電車は九段下に14時13分に着く予定というのは事前に調べた没案でチェック済みでした。


〔後半へ続く。〕