文化祭での寺島先生の記念講演

今日は寺島先生の講演会を聴きに湘南キャンパスで開かれている文化祭に行ってきました。本日はこの講演会の後同じく湘南キャンパス内でインターゼミです。

講演会は湘南キャンパス2番目に大きい教室(講堂?)で行われましたがほぼ満席。SGSの学生は文化祭の方の対応に忙しかったためか聴講に訪れたのはほとんどが父兄か、または文化祭の来場者の方たちでした。

講演会のテーマは明記はされていませんでしたが、講演の内容から私が推測するに、『日中関係のこれから』(ネーミングセンス無いな〜)。

最近の中国の目覚しい発展は中国本土の人々だけによるものではなく、フィリピンや台湾などの本土以外の土地の人々との連携によって成されたことだそうです。先生はこれを“ネットワーク型発展”と呼んでいました。

今年は“ドイツの東西統一”や“ソ連崩壊” ,“中国の天安門事件”から約20年。多くの東側の地域が社会主義の崩壊後も困難な道を辿りながら民主化への道を辿っていった(もしくは、いる)中、中国は社会主義を維持しながら経済力を伸ばしていきました。

一方、戦後著しく復興,発展していった日本はここへきてその経済力には次第に暗雲が立ち込めてきました。中国の経済力の拡大を強く意識しなくてはならないときがやって来たわけです。

ここで、まずわれわれが目を向けなければいけないのがアメリカの存在。戦後、日本が順調に復興し、現在に繋がるような経済発展を遂げられた理由は“アメリカの支援”があったから。もちろん日本人の勤勉な性質も挙げられますが、アメリカの後押しなくしては日本はここまで大きく進歩することはなかったのだそうです。

そして今、アメリカがアジアの中で注目し始めたのは資源も豊富で需要が高い中国。しかし、それは今も昔もそんなに変わることではありません。では、なぜ戦後の中国とアメリカ間に現在のような関係がなかったのか。それは、戦後の中国国内は内紛の鎮圧に意識を向けなくてはならなかったため、貿易などの海外とのやりとりに力を入れることが不可能だった背景があります。
日本があの頃のようにアメリカの支援を一身に受ける時代には終わりが来たことを寺島先生は強調されていました。現在の日中関係は良好とはいえない状態です。それは戦前に起きたいくつかの出来事により中国人の日本人に対する憎悪が形成されていった結果なのですが、今の生きている日本人の約90%は戦時中子どもだった人や、戦後に生まれた人。過去の歴史に対して非難されることに若い世代は非常に困惑しているのだそうです。私も若い世代の一人として、このようなことは実感しています。これは、寺島先生が中国で取材に応じるときにも中国人に対し繰り返し話すことだそうです。
自分が日本人として歴史的責任をどこまで負うべきなのか考え直すきっかけとなりました。

寺島先生はこれから日本と中国の同じアジアとしての繋がりを更に大切にすべきと話していました。そこで先生が例としてあげたのが、『東アジア共同体』。欧州連合EU)もフランスとドイツの相互不信がもととなって形成されたそうです。これからの日本は中国や他のアジアの国との不信感を取り除くために、教育やエネルギー,金融などの分野で共通の利益になるプロジェクトを行っていくべきだと熱く話しておられました。