調査の感想をブログへ―。(新カテゴリーの追加)

新しいカテゴリーに“日本文化”を加えることにしました。
今学期は3つの授業で日本のことについて学んでいます。自分も興味を持ち始めたし、よい機会なので今まであまり触れてこなかった日本の文化に授業を通じて理解を深めていきたいと思っています。
そして、せっかくブログを書いているのだし、新たに触れた文化の印象をこの場でも綴っていきたいなと(^v^)
本当に大学に入るまで全くというほど興味がなかった分野ですので、読んでいて私の無知さ加減に唖然とすることが多々ありましょうが、どうぞ穏やか〜♪な気持ちで読んでいただければと思います。

さて、今は12月に『日本文化』の授業内で行う予定のプレゼンのための情報をかき集め中!テーマは何でもOKだそうなので、最近初鑑賞し興味を持った“文楽”を扱うことにしました。今読んでいるのはドナルド・キーン氏の『能・文楽・歌舞伎』(吉田健一,松宮史朗 訳)。
まだそんなに進んでないのですが(私の読書スピードは亀並み)、読んでいて「なるほど!!」と感じたのが、文楽(に限らず日本の伝統文化)の様式や演出は保守的に昔からのものを再現するということ。
また、逆の例として、彼は‘シェイクスピアの作品の演出は、その脚本が今日でも通用することを強調しすぎて、シェイクスピアの時代が我々のから何世紀かの年月で距てられていることを無視する嫌い’があることを述べています。そして、そのようなやり方は商業的には成功するけれども、‘脚本のもとの形が壊されないまでも歪められる危険'をともなっていると指摘しています。
これ、実は最近のオペラの演出にも言えることなんです!「舞台を現代に移しても同じことが言える」もしくは「現代でも十分にありえる物語展開」というのを主張したいのだというのはわかります。が、、話の大筋としては現代の設定で通用したとしても歌詞の細かい内容に注目すると大分違和感を感じます。
それにやっぱり著者が思い描いた時代背景で物語を堪能したいという願望があります。多分そういう新解釈的な演出に私はフレキシブルに対応できないんですね。

その点、文楽は(まだ一回しか観てないのでここで断定はできないけれど、この前の公演を振り返る限り)服装も背景も安心して観ることが出来る"オーソドックス"な演出でした。古典美とでも呼ぶべきか。

新たな文化に触れることは今まで知らなかった自分の嗜好も知る機会を与えてくれるのでなんだかとっても楽しいです。