芸術家が芸術家から受ける影響

長らくお待たせいたしました。更新しようと思って、編集用のページを開いたら、タイトルが『(更新中)』となっていた時点で既に7人ほどいらしてくれていたようです。せっかくクリックしてくださったのに、ページが開いてさぞがっかりされたことと思います、どうもすみません。再びのご来場ありがとうございます(^v^)

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昨日の『日本文化』のテーマは、“映画”。
私は映画ってそこまで見るほうではないので、授業に出てきた作品も名前は聞いたことあるけれど、内容までは知らないものばかりでした。

今回、授業で取り上げられたのは、黒澤明小津安二郎北野武監督。特に黒澤明監督は多くの作品が日本だけでなく海外でも愛され、また同業者に多大な影響を与えていることを知りました。中でも『七人の侍』(1954)は群を抜いて影響力が絶大であると感じました。これは、映画も是非観てみなくては!ですね。

先生が黒澤作品とそれから影響を受けて作られた作品の類似点を挙げて紹介してくれましたが、ストーリーの流れが似ているだけでなく、視覚的にもアングルと配置がほとんど一致するシーンがあって、とても面白かったです。

もう一つ今回の授業で興味深かったのが、映画をはじめとする“創作”の分野での“inspiration(感化)→imitation(模倣)”と“plagiarism(盗作)”の違い。

先生曰く、似ている部分があったとしても、それがどこから影響されて作られているのかがはっきりわかりようであれば、それはオマージュとして認められる,つまりネガティブな印象は与えない、とのこと(私の解釈違いだったらごめんなさい)。

例えば、『スター・ウォーズ』シリーズのジョージ・ルーカス監督はメディアなどで自分が黒澤映画のファンであることは公言しているそうですし、“Battle Beyond the Stars”(1980)という作品の中に登場する星には“Akir”という名前がつけられていて、監督が黒澤明のファンであることを表しているのだそうです。


私は文化の発展のためには偉大な先人の知恵・技術を追い求めることはある程度必要なことであると認識しています。それに、その元となっている芸術家がいかに素晴らしいかが伝わってくるということは本人にとっても嬉しいことではないのでしょうか?(いや、本当にどう思われているのかは皆目見当がつかないですが…)でも、独自性を求められる芸術世界の中で、同じカテゴリーの芸術家(しかも、この分野ってプライドが高い人が多いと思います。そういう人)が作風や作品の一部を似せて創るというのは、敬意の現われ以外の何者でもない!と思うので、私にとってはポジティブな印象が強いです。


ここで、私が注目する上記の例を少しご紹介したいと思います。

バロック絵画の先駆者と呼ばれるイタリアの画家カラヴァッジョ。
光と闇のコントラストやリアリズムを徹底した人物像など、当時の画壇とは一線を画した作風をもっていました。彼の描くドラマチックな場面の数々は多くの人々を魅了し、多くの画家がその作風を研究しました。
彼の存在がなかったら後世の名立たる画家たちの存在(例えば、ルーベンスレンブラントフェルメールなど)の登場はなかったかもしれない、と言われているほどです。

カラヴァッジョ自身の作品と私が見て印象に残ったカラヴァッジェスキ(カラヴァッジョ追従者の意,英語では“Caravaggist”)の作品3点を下に載せてみます。(画像をクリックしていただくと、大きいサイズの画像が別ウィンドウで出ます。)

        

①〔左上〕カラヴァッジョ Michelangelo Merisi da Caravaggio (1571-1610)[伊]
『マタイの召命』,サン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会

この絵は私がカラヴァッジョの絵の中で最も好きな作品。(実物はまだ見たことがありませんが。)
キリスト(と一番弟子のペテロ)が税の取立人をしていたレヴィの前に表れ、自分の弟子になるよう呼びかけるシーン。宗教画にもかかわらず、暗い場末の酒場のような場所を描いたこの作品は当時センセーションを巻き起こしました。
※キリストの指差すほうの手の形はバチカンシスティーナ礼拝堂の天井に描かれたミケランジェロの『天地創造』の中央部分、神がアダムに指先を通して命を吹き込むシーンから影響を受けていると言われています(これこそオマージュと呼ばれるべきか。)
さて、どれがレヴィなのでしょうか?一番左に座っている若者か、その隣の隣に座るひげの生えた老人か?(本によって意見が分かれています。)私は、表情一つ変えずとも俯きながらもキリストの言葉に聞き入る若者がレヴィであると信じています。


②〔右上〕ホントホルスト Gerard van Honthorst (1592-1656)[蘭]
大司教の前のキリスト』,ロンドン・ナショナル・ギャラリー

〔最後の晩餐〕→〔ゲッセマネ(オリーブ山)の祈り〕→〔ユダの裏切りにより逮捕〕のあとにキリストが大司教カヤパに尋問を受ける場面を描いたシーン。彼によってキリストは死刑を宣告されます。彼らの表情を照らす光は一本のろうそくの火だけ。ほとんど光がない屋内で少量の光を用いて人物の表情を映し出す描き方はカラヴァッジョの作風を髣髴とさせます。


③〔左下〕セローディネ Giovanni Serodine (1600-1631)[伊]
『若者を生き返らせる聖マルガリータ』,プラド美術館

これは長らくカラヴァッジョ作と言われていた作品です。(現在でも、カラヴァッジョへの帰蔵を唱える専門家は多いのだそう。)宗教画,しかも聖人が死人を生き返らせる奇跡の場面であるにもかかわらず、画面には多くの宗教画に見られるような神々しい光はほとんどありません。暗がりに人物を浮き立たせて描く様がカラヴァッジョの作風によく似ていると思います。
※ すいません、ブログに載せるために4枚の絵を張り合わせ一枚の画像にしているため、この絵だけ、画像の上の部分を少し切ってあります。全体図を見たい方、こちらにプラド美術館の作品のページをリンクしてあるので、どうぞ→http://www.museodelprado.es/coleccion/galeria-on-line/galeria-on-line/zoom/1/obra/santa-margarita-resucita-a-un-joven/oimg/0


④〔右下〕作者不詳(17世紀,ローマ派)
『テーブルを囲む陽気な仲間』(『食卓を囲む陽気な集い』),ルーヴル美術館

4枚の絵の中では唯一の風俗画ですが、これもカラヴァッジョの影響が色濃く現れている作品である思います。作者は不明ですが17世紀,ローマ派であったことまでは判明しているので、カラヴァッジョの作品に触れている可能性は非常に高いです。(このときの図録は購入していないので、確かではないのですが、たしかフランドル地方の生まれの画家だったと記憶しています。)暗い背景にそこだけ照らされた鮮明な光に映し出される彼らのリアルな表情はカラヴァッジョの作風に通じるところがあります(Ex.カラヴァッジョ作『エマオの晩餐』(1601年)→http://www.nationalgallery.org.uk/paintings/michelangelo-merisi-da-caravaggio-the-supper-at-emmaus)。



このように、他の画家の作品を通して一人の画家の偉大さを垣間見ることは、絵画鑑賞における喜びの一つです。その画家が築いた栄光を強く再認識するとともに、他の画家たちの独創性・応用力を読み解いていくことは私にとって非常に興味深いことです。(なので、漫画のオマージュ&パロディも大好き♪)

上の作品をご覧になられて、みなさんはどのような感想をお持ちになられたでしょうか???