横浜美術館で『フランス絵画の19世紀』を観る

今日は、桜木町にある横浜美術館で展示中の
美をめぐる100年のドラマ フランス絵画の19世紀』を観てきました。
公式サイト⇒http://www.france19.com/top.html


絵画だけで83点(出展作品リストより)ということで、かなり見ごたえのあった展覧会でした。

この展覧会では4つのセクションに分かれています。それぞれ、
第一章 アカデミスムの基盤 – 新古典主義の確立
第二章 アカデミスム第一世代とロマン主義
第三章 アカデミスム第二世代とレアリスムの広がり
第四章 アカデミスム第三世代と印象派以降の展開
となっていて、19世紀におけるフランス・アカデミスムの変移を作品の鑑賞を通じて感じ取ることができました。この部分は前に美術史として本で読みましたが、本から得られるのはその時の社会情勢と文章からつかむことのできる特徴だけで、やはり実際の作品を自分の目で見ないと本当に理解することはできないとつくづく感じました。

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○フランソワ・ジェラール – 『ヒュラスとニンフ』(1826年)
 François Gérard (1770-1837) – “Hylas et la Nymphe”

ギリシャ神話〕
ヒュラスの身に着けている赤いマントが宙に浮いていることからもこの作品がヒュラスが水の中から現れたニンフに水中に引き込まれる瞬間を描いた絵であることがわかる。展示横の解説には、「ジェラールにとってこの神話のストーリーは愛の抱擁や、自然の中の男女の裸体像を描く口実に過ぎなかった可能性が高い」とあった。
“驚き”の表情というのは、ともすればかなり強張った無骨な表現になってしまう。恐怖に怯えた顔ならなおさらである。この絵では、すでに述べたように画家は若い男女を美麗に描くことを目的としてこの主題を選んでいる。ヒュラスの驚いた顔は涼しげで美しいが、不自然ではない。こういう表情も実際ある。
彼の片手は必死に小枝を掴んでいるが、その細さから折れるのも時間の問題である。この場面、実はかなり緊迫した状況であるはずなのだが見ている側はそこまで緊張はしていない。なぜか?私が思うに、それは水に引き入れようとするニンフがまるで恋人と戯れる少女のように描かれている点にある。神話などでよく登場する"水の中から現れる人間"は(例え人の形をした妖精であっても)、かなり不気味である。しかし、この絵にはそのテの主題を扱った作品に多い「美しいがグロテスク」というマイナス的要素は見当たらない。この作品の前に何度も足を運んでしまうのは安心して見れるこの画家の構成ゆえかもしれない。


○アンリ・レーマン – 『預言者エレミヤ』(1842年)
 Henri Lehmann (1814-1882) – “Jérémie prophète”

〔宗教画:旧約聖書
天使のエルサレムを示す手の形がミケランジェロによる『アダムの創造』(システィーナ礼拝堂バチカン)のアダムのそれによく似ており、ミケランジェロの影響力と画家の敬意を感じた。
エレミヤの怒りの形相と天使の大きく見開いた眼はこちら側でなく画面左のエルサレムに向けられてはいるが、それでも見ているこちらを怯ませてしまう迫力がある。

天使の性別…そばで見ていたマダムたちが「この天使はピンクの服を着ているから女の子かしら。」「そうね〜、でも、腕の筋肉がちょっと逞し過ぎるわ」という会話をしていた。このマダムがこのブログを読んでいるとは到底思えないが、一応言っておくと、キリスト教の天使には人間のような性別はありません。―ただ、マリアに受胎の告知をする大天使ガブリエルは女性的に描かれていることが多いし、サタンを退治する大天使ミカエルは男性的に描かれることが多いですが、これらは芸術作品上での演出といった理由からであります。


○ジャン=フランソワ・ミレー – 『施し』(1858-1859年)
 Jean-François Millet (1814-1875) – “La Charité”

            

〔風俗画〕
これは一見すると村の日常のワンシーンを描いた風俗画であるが、見入るうちになにか、目には見えないが神聖なものが伝わってきた。この絵は本物と展覧会のチラシに印刷されたものとでは色合いがまったく異なる。上の画像も実物ほどの威厳は感じられないが、それでもチラシよりかは雰囲気が重なると思ってこれを今日の一枚に決定した。
少女が母から渡されたパンを物乞いに持っていく実にシンプルな構図であるが、親子と男たち両方にミレーの暖かい情が注ぎ込まれていて、絵を鑑賞しているということを忘れていつまでも立ち尽くしてしまった。また、この作品は額縁もまた独創的で素晴らしかった。額だけ単独で見ればミレーの絵には絶対に合わなさそうなモダンなデザインだがなぜかこの絵に溶け込んでいる。私の拙い文章では2%ほどしか伝えられないので、ぜひこの作品を見に展覧会を訪れてほしい。


○レオン=オーギュスタン・レルミット – 『落ち穂拾い』(1887年)
 Léon-Augustin Lhermitte (1844-1925) – “The Gleaners”

〔風俗画〕
丘の斜面の落穂を拾う女たちを低い位置から見上げるようにして描いている。画家のタッチはそれほど緻密ではないにもかかわらず、まるで写真を見ている気になるのは彼女たちの生命力溢れた姿ゆえだろうか。
丘の上の干し草の山には太陽の光があたり、彼女たちのいる場所は雲の陰になっているので少々暗くなっている。まるで富める者とそうでない者を分けるように。だが、直に彼女たちの方が干し草の山より眩しいことがわかるだろう。彼女たち自身から放たれる生命の輝きは陽光よりも勝っているのである。雲が流れるように空に浮いている。この絵を見ていると自分もこの丘に立っている気さえしてくる。暖かい陽気と清々しい風をこの絵から感じることができるのである。


今回作品を観て、あらためて額縁もまた作品の一部であることを実感した。(ネットで拝見できる画像というのは、ほとんどが絵の部分だけである。)

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今回10時半ぐらいに入って、出てきたのは3時過ぎ。展覧会へ行くと私はいつも全作品を一通り見て、一度入り口に戻り気に入った作品をじっくり鑑賞するのですが、今回は上の作品だけ何回まわったことか…。これが最後って思って見てきても、出口の「再入場はできません」という立て札をみると、見納めにもう一度!と、回れ右状態でした。それが何度も。出口に立っておられた学芸員さんにはかなり怪しそうな目で見られました…(汗)。

ともかく!まだ行ったことのない方おすすめでございます。この展覧会に出展されている絵の多くはフランスの地方の美術館から貸与されているため、ネット上に画像がありません(※)。あったとしても色合いがかなり違っていますので、ネットで検索される方、それを念頭に置いておいてください。会期は8月一杯なので、あともう三週間ちょっとしかありませんね。私はもう一回行きたいです。

※ルーヴルやオルセーなどの大きな美術館の所蔵品というのは、美術館によりネット上でデータベース化されています。